これを見た瞬間、トンボ鉛筆の「Souvenir of Tokyoだと思った。
「Souvenir of Tokyo」は東京みやげという意味で、
1922年(大正11年)に発売された鉛筆だ。
25センチの長さと、その長さとバランスのとれたしっかりした太さの鉛筆。
ただ、見つけた鉛筆はかなり使われており、メーカー名がわからなかった。
「いくらですか?」
骨董屋さんから帰ってきた値段にちょっと高いなと感じた。
「メーカー名のところまで残っていたら、その値段でもいいんだけど」
「メーカー名が残ってたらプラス千円!」
軽妙な返答につい笑ってしまったが、その場はいったん見送った。
「品番を調べればわかるだろう。No224だ。」
帰宅して調べる。
当時の広告のイラストにはしっかり品番「224」が書かれていた。
やはりトンボ鉛筆のSouvenir of Tokyoだった。
であれば、買っておけばよかった。
まぁ仕方ない、次に買おう。
2、3か月置きに開催される骨董市でしか会う機会のない骨董屋さんなので、
次の機会に鉛筆を買いに行った。
ところが見つからないとおっしゃる。
「売ってないから必ずあるけど、見つからない。」
ないものは仕方ない。
「買うから、出てきたら取っておいてくださいね」、とお願いしておき
更に次の開催時に出かけて尋ねると、まだ見つからない。
「見つけてくださいよー」
「どこか行っちゃったんだよ、見た時に買わないからだよ」
そりゃそうだけどね。笑
そんなやり取りをしているうちに1年くらいたってしまった。
あきらめずに今日行ってみたら、
ああ、やっと見つけてくれた!
というわけでとうとう買っきた。
この鉛筆、元は25センチもある大きな鉛筆だ。
手に入れたのは
約10センチまで使われたもの。
はてさて、このスーベニア オブ トーキョーの存在価値ってなんだっけとふと考える。
多分「25センチもある大きな鉛筆」ってことだったろう。
当時の広告もこの通り。
「世界的HOノ超努級」がうたい文句である。
(ちなみ超努級は「怖いものなし」といった意味合い)
この広告を見て、手元の鉛筆を見る。
最初の半分以下のサイズになった鉛筆から
「ぼく、もう超努級じゃないですけど、いいですか?」と言われている気がした。
「鉛筆は道具だからね、使われることに意味がある。
25センチもの鉛筆は、迫力あるけどほとんどのものがあまり使われずに
捨てられたはず。
それがここまで使われたのは、鉛筆として名誉なことだし、
君はきっと持ち主にとって、とても大事な道具だったとと思うよ」
鉛筆にはそう伝えたい。
それに、私はこれが25センチもあったことを知っているし、
そのころの姿を想像もできるから、気にせずうちにいればいいよ。
これも伝えたい。
そんな私のところに来たのも何かの縁でしょう。
しかし、よくここまで使ったな、元の持ち主は。
真面目に感心する。