12月29日
今日はお休みにしたので、昨日が仕事納めです。
今年の仕事は今年のうちに。
まぁ仕事は何とかなったかな。個人的にはいろいろ残っているけど。
で、今年の間違いは今年のうちに。
ブログ記事の間違いを見つけたので
訂正も今年のうちにしておこうかと。
先月縦書きのチェックライターの記事をアップしました。
少ない情報から想像を膨らませて
さも大正から昭和初期のもの
のように書きましたが、
かなり時代がずれていることがわかったので、訂正します!
はい、間違えていました。ごめんなさい。
昨日、昭和27年、28年頃の文房具を調べていたところ、
昭和28年の名古屋文具新聞のこの広告を発見。
これは表紙。
広告はこれ↓
あ!これはもしかしてあのチェックライターか!?
形はそっくりだぞ。
SUNというのは、花菱のブランドの一つだったのか?
とテンションが上がります。
と、ページをめくると
「あった!SUNのチェックライターだ」
発見しました。
これぞ私の持っているのと同じ「SUN」印の縦型チェックライターだ。
ということで、大正から昭和初期どころか
昭和28年頃の商品であることがわかりました。
まずそれを訂正します。
失礼しました。
そして時代とともに不明であった「メーカー」。
このSUNのチェックライターを掲載している広告は、
いろいろなメーカーの名前と商品が記載されているので
問屋さんの広告のようです。
ということは「SUN」印チェックライターがどこのメーカーさんの商品なのかは
ここではまだわかりません。
ま、でも時代がわかったし。
と思っていたら、さらに偶然見つけました。
バーン。
ライオン事務器さんの昭和27年のカタログに
SUN印のチェックライターが載っていました。
そうそう、これこれ!
ライオンさんの製品だったのでしょうか。
戦前ライオン事務器さんはライオンマークだけでなく
いろいろな商標を持っていたので
過去の商標の一つかも、とおもったのですが確認できず。
そこで、ライオンさんの200年史を見てみました。
するとそこにこの縦型のチェックライターのことが載っていました。
今日は文字ばかりですみません。
文字だらけついでに、200年史に記載の内容を抜粋させていただきます。
【チェックライター】
チェックライターは、大正10年ごろ(1921年ごろ)、欧米で同時に発売されたといわれている。しかし「福井商店文具事報」には、外国製の「S.P印文字打抜器」が、同じく大正10年には米国シカゴ印の「数字打抜器」の販売が掲載されている。国産では、アメリカの商品を見て、横浜のサーン株式会社の外山鋭雄がはじめて国産化したようだ。
打抜器はドット式文字を用紙に打ち抜くものだが、大正14年には、当社でも現在と変わらない印字式の「手形数字器」が、アトラス印として売り出された。
戦前から、わが国の小切手や手形は縦書きで、誤りを防ぐために漢字(壱弐参…)を手書きしており、英数字の打抜器やチェックライターは改ざん防止用に、余白に補記するのが普通であった。
改ざん防止用にはまた、斜子打器もあり、これは金額記入欄をこの器具でプレスして用紙にギザ目を作り、後から書き入れできなくしたものである。
昭和12年のカタログには 縦書き漢数字のものも掲載されているが、これが普及したのは、改ざん事件の増加した戦後の混乱期以後であった。サーン事務器(株)出身の藤田氏が入社したニッポーなども新たに製造し始め、メーカーも増加した。
(出典「一意誠実 ライオン事務器200年史」)
この後昭和38年に小切手は原則横書きとする、と決められたそうで
それまで縦型チェックライターは結構な勢いで売れたようです。
ということで、「SUN」のメーカーは横浜にあった「サーン事務器株式会社」ということは判明しました。
。。。と、よくみたら先ほどの広告にも「サーン事務器用品」書いてありました!
この会社は残念ながら今はなくなってしまったか、
社名が変わっているかで探せません。
ちなみにライオン事務機の資料ではのちに同じ形で「ライオン」ブランドで
この縦型チェックライターを販売していたようです。
サーン事務器のOEMかと。
この会社はチェックライターの伝道師のような働きをしたようですね。
国産品を初めて作ったとか、サーン事務器から「藤田氏」が入社したことで
「ニッポー」がチェックライターを作り始めたとか。
物にはいろいろ歴史があるものです。
すべて手元にあったものや情報ですが、
組み合わせてみないとなかなか見えてこないものも多いなと。
勉強になりました。
余談ですが、花菱の広告で、形はそっくりなのに
ブランド名の部分がごにょごにょと塗りつぶされているのが
気になりました。
それもひとつの歴史です(笑)
訂正記事で今年を終わらせるのはなんなので、
もう一本、書きたいと思います。
ではまたその時に。